国際機関の使い方

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新型コロナウイルスによるパンデミック(世界的大流行)が続いています。その騒動において世界保健機関(WHO)のパンデミック宣言が遅れたことによる世界的な大流行の拡大につながったと非難の声があがっています。

WHOは国連システムの中で保健を統括する専門の機関です。その役割は国際保健の分野でのリーダーシップを発揮すること、保健に関する研究課題の決定、規範・基準の設定、エビデンスに基づく政策課題の提唱、各国への技術支援、保健状態のモニタリングや評価などです。

今回の様な世界的な感染症に対しては、一国だけで対処できるものではなく、国際的な連携(連絡や情報共有、そして対策)が必須となります。そのための連携には各国を横通しして、世界を束ねるような調整の仕組みが必要になります。それが国際連合(国連)のあるべき姿と言えます。

しかしながら、今回の事務局長を含むWHOに対する非難の背景には、国連という組織が各国の思惑が入り込み、中立的な立場をとる事が出来ない場合に起こります。

国連を運営する資金は、各国からの拠出金によります。そして、国連を構成する人員は各国から基本的には公募により選ばれたその道のエキスパートたる有能な人材により構成されます。

本来は、そうした人とお金は中立であるべきですが、そうした世界に影響力を発揮できる国連という立場を利用して私利私欲に走る個人や国が出てきます。その傾向は残念ながら途上国に多いと言えるでしょう。個人や国のあらゆるレベルが先進国に追いつき追い越す絶好の機会となる訳です。

そうした意味で、国連は非常に崇高な使命を担いながらも、そのメカニズムの裏をついた脆弱性も持ち合わせていると言えます。

そのような状況の下、日本は国連に対してどのような立場を取っているのでしょうか?

国連と聞くと一般的なイメージとしては、非常に遠く感じるのではないでしょうか?最近では、ニューヨークにある国連総会や安全保障理事会などで、安倍首相も演説などするようになりましたが、全世界のまとまる場所というイメージだけは出来るかと思います。

そうした場において、日本は残念ながら欧米や最近では中国やアフリカに比べても積極的ではないと言わざるを得ない状況です。国連と言われてもピンとこないし、何かぼんやりと世界のために動いている組織くらいにしかイメージないのではないでしょうか?

先ほどの国連の資金源である各国分担の拠出金の額では、日本は上位にいます。これは国連の分担金が国民総所得(GNI)などの経済指標の割合に応じて拠出すべきというガイドラインがあるからであって、積極的に日本が戦略的にお金を出したいから出している訳ではないと言えるでしょう。

国連への拠出金

国連の職員は、その拠出金の割合に応じて各国から構成されるべきであるという考え方がありますが、日本はそれに比して少ない割合となっています。外務省は日本人の国連職員の数を増やそうと、JPOなどの制度を使って若い世代から国連に根付かせようとしていますが、正職員や幹部級の職員では圧倒的に日本人の割合は少ないのです。

国際機関での日本人の割合(外務省)

そもそも、国連(国際連合)は戦後に第二次世界大戦を防げなかった国際連盟の反省に基づいて欧米主導で出来たものであり、国際平和と安全の維持(安全保障)、経済・社会・文化などに関する国際協力の実現です。

この成り立ちから考えると日本は色々な側面で国連に対して不利な背景にあると言えます。その最たるものが日本は常任理事国ではないという現実です。戦敗国である日本、ドイツ、イタリアは常任理事国とはなっていません。

非常任理事国には日本もこれまで何度もなってきましたが、必ず任期を終えたら退任しないといけないので影響力の発揮にむらが出ます。

いずれにしても、日本は国連に対しては、最初から不利な立場にいるわけです。加えて言語の壁は未だに大きな障壁です。仕事の進め方は欧米流であり、文化と言語の違いは根本的な教育の違いに源を発しています。

しかしながら、最近では米国がWHOを非難したり、UNESCOから脱退したりと国連の在り方に警鐘を鳴らしています。「世界の警察」である米国のこの態度は国際社会の在り方にも強く影響を与えており、景気後退の影響もあり、「自国優先主義」の考え方が世界に広まりつつあります。

そのような状況の中で、私は日本はもっと国連を使うべきだと考えています。

良く言われますが、日本は技術立国であり、そうした技術は世界に必ず役に立ちます。事実多くの日本のきめ細やかなサービスとその精神は世界から根強い支持があります。

そうした技術を売りにして世界に日本の活路を見出していくために国連を使うのが基本方針であるべきですが、その戦略や勢いが日本国内で認識が薄いし、やる気もない、敗戦の傷跡はかくも深いのか?と思いますが、世代が変わってきているので、そろそろ我々はもっと別な良い意味で世界に打って出ていいのでは?と思うのです。

国連の最高意思決定機関である安全保障理事会の常任理事国入りするのは、中国を含めた現理事国メンバー全員の賛成が必要なので、戦後の反省を永久に求められる日本は、ほぼ不可能と言っていいでしょう。

それよりも、日本は国連あるいはその専門機関をもっと有効活用すべきと考えます。日本は技術力だけではなく、国民性の観点からも国連に大きく貢献できると思います。それは中立的な立場ということです。

日本は幸いなことに世界でもっとも色々な国に行けるパスポートを所有できる国であることが証明しているように、安全な国民でありかつ一部の国を除いて中立的な立場を確保しやすい国です。

そうした特色は国連での条件に良く合致します。それに日本人は勤勉であり真面目です。言われた仕事は着実に期限にまでこなします。一般的には、これほど信頼できる職員はいないでしょう。

もちろん弱点もあります。英語などの言語の問題、仕事のやり方が欧米流で馴染まない、積極的に発言や提案をしない、などです。しかし、こうしたのはもはや日本人全員に当てはまる弱点ではありません。そう思ったら終わりということだけ言いたいと思います。そうでない人もたくさんいるのです。

もう一つ、私が驚いたことがありました。ある日、私は会社の上司にとある国際機関からの提案について相談したことがありました。その際に、その時の上司は終始渋い顔で、「国連なんてのは欧米が自分たちの仕事のネタに作ったものだから中身はなんにもないよ」と言われたことでした。

確かに、そういう考え方や事実もあるでしょう。モノづくりの日本人代表から言わせれば、「他人のふんどしに乗っかった成果泥棒」とまで言う人もいると思います。しかし、私はその考え方には反対で、国連というのは世界平和のための最もタフな国際調整の引き受け人であるべきだと思っています。

そうした目標に対して、日本はあらゆる面で貢献できると思いますし、我々の考え方や技術を生かせる場だと思っています。日本人はもしかしたら、最初からそうしたチャンスを逃しているのかもしれない、とも思っています。

私は、現在会社の事業を国連を通じて売り込んで、それを世界標準にまで持って行って、日本の技術が国際的に認知され使われる事を目指す事業に取り組んでいます。そうした意識があれば国連という組織は使ってみようという気になります。

また、既に色々な調整を行っていますが、国連という組織の良い面悪い面をたくさん見る事が出来ます。さらに、そうした調整を通じて、日本国内だけでは得られないネットワークさらには影響力も得られることにつながります。

WHOもなんだかんだ叩かれますが、世界の保健に関するあらゆる調整機構のトップである組織として、今後もなくなることはないでしょう。

私は、スイスジュネーブで7年間国連組織の中で働いたことがありますが、また別な機会を通じて働きたいと思っています。それくらい魅力のあるダイナミックなやりがいのある仕事だと思っています。

今は、2030年までの持続可能な開発目標(SDGs)が国連の枠組みとして存在します。これは国連で働く上でも非常に良い共通の指標あるいは物差しになります。

参考書籍

 

梅雨時期にこそ呼吸法で身体を楽に!

 

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