日本は世界制覇はしない?

ちょっと過激なタイトルが炎上ものかもしれませんが、本日仕事で面白い考えを聞いたので、シェアしつつ考察したいと思います。

今日の仕事での議論で、日本は世界標準(これが世界制覇するという意味)を取れるか?という議論になったのですが、皆さんはどう思われますか?

どの分野あるいはどのように世界標準を取るか?という事にもよりますが、今日の議論では第二次世界大戦の教訓によると、日本人は一度いわゆる世界制覇を目指そうとした、そしてそれは失敗して、反省し、その反省の血が色濃く日本人に刻まれ流れるようになった、というものでした。

それを持ち出したのは上司だったのですが、確かに正しいかと思います。事実そうですし、そのような意識は私の中にもありますし、多くの日本人にも刻まれた意識ではないでしょうか?

しかしながら、一方で未だに世界制覇をしたい欲求も残っているのではないでしょうか?深い意識の奥底で、日本人は世界に通用する、というある不思議な感覚、あるいは自信みたいなものがあるのも事実だと思います。

人間は抑えられると反発すると思います。第二次世界大戦では徹底的に負けました。そして、社会システムを変えられました。文化は残されたので日本人たる心は残されましたが、我々の心は未だに払拭出来なくて、表に出せない鬱憤が溜まっているのではないかと思います。

それが形を変えて、色々な形で日本人のすごさというところで出てきているのではないかとも思います。戦後の経済復興はまさにそれでしょうし、日本人の科学技術の優秀さと緻密さは世界屈指です。

戦争で負けても、自動車では世界征服に近い感じまで来ました。下町の町工場の技術は世界一がわんさかいるのに、目立たずひっそりと世界に売れていっています。

欧米各国は、最初からあからさまに植民地政策の歴史をなぞり、世界標準を取りに行こうとします。英国は最もその傾向が強いですね。

日本は逆に、あからさまにすると戦後の反省の自動反射が出てしまい、それがどうしてもできない人種になってしまったかもしれません。

戦争に負けたから、生きてささやかな幸せの中で生きていってもいいけれど、それ以上は求めるな、と暗に言われているのではないか?と思ってしまう事もあるのではないか?と思います。

私も、国際調整をしていて日本がここまで出しゃばってもいいのだろうか?と思ってしまう事もあります。

しかし、時代は明らかに変わってきています。もはや、情報が瞬時に世界に広がるので、先進国だろうが途上国だろうが、情報は皆均一の時代です。暮らしの格差はあっても情報がもたらされることによって、お互いの事を知る機会が各段に増しているので、欧米の戦略も色々見えて来ると日本もそこにリンクしていって、堂々たる立場を主張できるようになってきていると思います。

世界制覇というのが意味合いが変わってきていて、文字通りの世界制覇はもう現実的にはあり得ない。むしろ、色々な多様性の中での世界制覇がどのような事なのか?自分で見出して世の中を渡り歩く事が必要になってきているのかもしれませんね。

私は、今いる自分の国際的な立場を日々見ながら、それが数年単位でその性質が変わってきていると感じてます。社会が数年で変革していると同時に、国際関係もどんどん変化していく時代です。

今どきは世界制覇してやろう!と思う人よりも、世界の人とうまくつながろう!と考える人の方が多いかもしれませんね。